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秋田家庭裁判所 昭和60年(少)605号 決定

少年 S・K子(昭45.7.14生)

主文

一  少年に対し強制的措置をとることを許可しない。

二  少年を教護院に送致する。

理由

一  本件申請の趣旨及び理由

(一)  少年は万引等により昭和59年12月21日少年法18条1項に基づき秋田県中央児童相談所長送致となつたが、これより先の同年12月5日(中学2年生時)家出をし、友人の紹介で知合つたA(23歳)と同人のアパートやその実家で同棲し、昭和60年5月21日自宅に戻つたものの、同年6月11日Aに電話をしたことを父から注意され、体罰を加えられたことにより再び外泊するようになつたので、同月14日一時保護所に収容され、同月17日同じく入所中のB子と無断外出し、Aと一緒に友人宅にいるところを発見されて連戻されたが、Aが面会に来たり、煙草、手紙、小使銭を差入れたことについて注意を受けたことに反発し、同年7月5日再びB子と無断外出し、友人宅を泊り歩いたうえ、Aらとともに仙台市へドライブに行き同月13日保護された。

(二)  以上の状況からして、少年は今後も無断外出を繰返し、Aらの非行グループと接触して非行傾向を強めることが予測されるので、開放施設である一時保護所及び地元教護院での指導は困難と考えられ、強制的措置のとれる国立きぬ川学院において規律ある生活指導を受けさせる必要があるので、少年に対する強制的措置の許可を申請する(なお、強制的措置の期間は30日とするのが適当と思料される。)。

二  ぐ犯事由及び要保護性

(一)  本件調査及び審理の結果によると、一の(一)の事実の外、次の事実を認めることができる。

1  少年は、小学3年生に菓子類の万引きをしたが、その外には、小学生時代格別問題行動をおこすことなく経過したものの、中学1年生時から生活が乱れるようになり、昭和59年4月中学2年に進級してからは教師に暴言をする等して反抗し、無断欠課、遅刻、無断早退等を重ねるようになつて学校生活に適応しなくなり、昭和59年7月以降同年12月1日までの間数回にわたつて家出をし、この間万引や中古自転車の窃盗をし(この件により、前記のとおり昭和59年12月21日秋田県中央児童相談所送致となる。)、また15名位の者と性交渉をもつた。

少年は昭和60年5月以降3回位シンナーを吸入したことがある。

2  少年はAに対し強い親近感をもつているが、同人は少年時代保護観察処分を受けたことがあり、現在業務上過失傷害等の罪により服役中である。

3  少年の父はスナツクを経営していたが、経営不振により昭和58年10月末これを閉店し、昭和60年4月になつてようやく健康蒲団の販売会社に就職したが、収入は不安定であるところ、スナツク経営時に生じた負債の返済に追われており、又養母(実母は父と離婚)も飲食店の従業員として稼働しており、少年の身辺に十分注意が行き届かない状況にある。

少年の父母はこれまで少年の指導に努力してきたものの効果がないので、現在ではこれについての自信を喪失している。(少年の父母は少年を施設に収容する場合は身近な施設に収容して貰いたい旨の意向を表明している。)

(二)  上記の事実によると、少年は、少年法3条1項3号イ、ロ、ハ、ニの事由に該当し、その性格又は環境に照して将来毒物及び劇物取締法違反事件等の罪を犯す虞れがあるといわなければならない。

三  強制的措置の不相当と保護処分の必要

以上によると、少年の健全な育成のためには少年を施設に収容し、少年に対し基本的な生活習慣と基礎学力を修得させる必要があるというべきである。しかし、女子を収容しうる強制的措置をとりうる施設は栃本県下に所在する国立きぬ川学院のみであるから、少年をここに収容した場合、少年と父母との面接交渉や出院後親許での進学や就職に困難を生ずることになるので、強制的措置は不適切であるといわなければならない。

少年は少年鑑別所入所によりこれまでの生活態度を反省し、更生意欲を示していること、Aは服役中であつて当分は接触の機会はないこと等からすると、開放施設である地元の教護院においても収容の目的は達成しうるものと考えられる。

四  結論

よつて、本件強制的措置許可申請はこれを許可せず、少年法24条1項2号により少年を教護院に送致することとし(本件申請はこれが認容されない場合にそなえて黙示的、予備的に虞犯事件としての送致の趣旨を含むと解するのが相当である。)、主文のとおり決定する。

(裁判官 三浦宏一)

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